東北縦断帰省阿房列車(中編)八戸~階上~種市~久慈~陸中野田~普代~田野畑~小本~田老~宮古
(写真は有家~陸中中野間を走る八戸線)
…八戸で一泊し、久慈へと向かう。
八戸駅や本八戸駅、陸奥湊駅に「元気をありがとう 光星学院」というような横断幕があった。大阪第2代表かもしれないが、地元出身の選手も少しいるし、被災地の学校だし優勝させてあげたかったなと思う。夏春連続準優勝は壮挙だが、惜しいし可哀相でもある。
八戸線はたぶん初めてである。本八戸や陸奥湊、鮫でだいぶ降りた。しかし、車掌さんがずっと乗車してるのがJR北海道と違う所だ。
途中、階上駅で30分停車する。ここから久慈までは2012年3月17日に再開したばかりとのこと。
静かな階上駅を見学したり写真を撮ったりした。
30分後、列車は久慈に向けて再び動き出した。
ほどなく岩手県に入る。秘境駅として知られる有家駅で降りた。降りたのはわしだけである。
八戸や階上でも大震災の被害は大きかったと思うが、列車からみただけではよく分からなかった。
有家駅で降りると、線路は全部新調されていて、路盤も新しく敷かれていた。海から20mは高い場所なので、ここまで津波が来たんだな…と思った。
駅待合室も新しいものになっていた。
ひとけがあまりない海岸には高い波が迫り、迫力があった。ずっと波を見ていた。沖には波間に浮かぶ漁船も見えた。
右大臣実朝公の
大海の 磯もとどろに寄する波 割れて砕けて 裂けて散るかも
という歌そのものの光景である。
駅から集落の方にも行ってみた。集落は高台にあったので、津波の被害は受けてないように見受けられた。
約1時間後に来た列車に乗り、さらに久慈へと向かった。
久慈に9時に着いた。…お約束である。三陸鉄道北リアス線の列車が来るまで、三陸鉄道のグッズなど見ながら待つ。
…久慈駅に入線した列車は、団体客などで混雑していた。団体専用車両もついていた。わしが乗車した車輛も、駅からハイキングで関東から来た人たちが多かったようだ。
…若干、今までのすいている旅と異なるので落ち着かなかったが、三陸鉄道が繁盛しているのはよかった。
田野畑駅に着いた。ここから小本までは岩手県北バスがバス代行運転をしてくれている。
…しかし、あいにく小本へ行くバスは2時間後だった。なので、もう一度久慈に戻って、また田野畑に来ることにした。北リアス線 田野畑~陸中野田復旧記念 ということで、1日フリー切符が千円で発売されていた。 逆に、あまりお金を落とせなくて申し訳ない気がした。久慈から田野畑まで往復してさらに久慈→田野畑を乗車し、加えて小本から宮古まで乗れば、普通に切符を買えばおよそ3500円である。
折り返しの列車は団体連れの人たちがいなくてすいていた。
三陸鉄道では、大震災の被害の状況や、絶景ポイントで車掌さんが解説してくれた。
北リアス線沿線では、陸中野田と野田玉川間がもっとも被害が大きかったようで、防潮堤が壊れた箇所や、家並が流されてしまった場所を通った。また海側には防潮堤に加えて防潮林もあったが、津波で流されてしまった、と解説していただいた。とても想像できないほどの津波だったんだなと思った。
…また線路沿いにはがれきが分別されていた。地元の皆さんの多大なご尽力で鉄道も(全線ではないが)復旧し、がれきも分別したのだなと思う。冷蔵庫などもあって、失われた平穏な暮らしを想像した。
…久慈に戻り、急いで田野畑行きの列車に乗り込んだ。
「リゾートうみねこ」というリゾートしらかみのような観光列車である。
八戸線が2012年3月に全線復旧し、北リアス線も2012年4月1日に陸中野田~田野畑間が復旧したので、そのまま北リアス線に乗り入れている。(土休日)
…リゾート列車から眺める三陸海岸の景色は美しい。 しかし、がれきの山をリゾート列車からながめるのは何とも複雑だった。…観光が復興に寄与するといっても、結局わしは物見遊山で被災地を見に来ていたわけで、申し訳ない気持ちになった。
普代駅はこの復旧区間の中で陸中野田と並ぶ拠点駅である。さっきの一回目のときも駅からハイキングの皆さんが普代でたくさん降りた。
…普代駅付近は海に面していないようで、津波の被害はなかったのかなと思うが、素人のことなので分からない。また、地震の揺れもひどかったから、津波の被害がない地域も、被害は大きかったと思う。やがて再び田野畑駅に着いた。
田野畑から小本まで、直線距離で10kmほどだろうか。代行バスは、連休2日目ということでちょうど満員の乗客を乗せて、峠を登り、迂回して、小本に着いた。
小本駅から、海が見えるが、小本もやはり津波の被害が大きかったようだった。駅構内で写真展があり、被災の状況と、そこから復興していく地域の皆さんの足跡が展示されていた。
1時間ほど待つと、小本発宮古行きの列車が出発進行した。
小本は岩泉町に属する。小本の南隣は田老である。
田老は高校生の頃、兄と一緒に1988年頃に来たことがあった。たぶん大船渡線で気仙沼経由で南リアス線に乗り、釜石から山田線に乗り、宮古から田老を経て田野畑から北山崎付近の国民宿舎に泊まり、久慈まで行ったかどうかは覚えてないが、たぶん開業して数年の三陸鉄道に乗りに行ったので、たぶん久慈まで乗ったのかな…と思う。…列車に乗り遅れそうになったとき、駅の階段を駆け上がって、その間運転手さんが待っててくれたのを覚えている。あれは田老駅だったろうか。
田老は地形的に過去何度も津波に襲われており、1988年に見に行ったときも、巨大な防潮堤が街を十字に守っており、その前に来た津波のときどうだったとか、それでこの防潮堤を造ったとか、掲示されていた。そのときわしは、この防潮堤ならば津波が越えてくる心配はないな…と思った。
…トンネルを抜けて田老に入ると、見覚えのある防潮堤が見えた。しかし、流された家が多く土台だけになっていた。防潮堤の上で流された街を前に話し合っている方々も見えた。
駅は少し高い場所にあるので線路は大丈夫だったようだが、駅舎はその下なので、被害を受けたようだった。
宮古へと向かう列車に向かって、地元の方々が手を振ってくれていた。…物見遊山で来た自分に、手を振っていただいて、なんとも申し訳ない気持ちになる。
田老から宮古は山の中を経由した。宮古も多くの人で賑わっていた。…久慈で買えばよかったのだが、宮古では時間がなくて三陸鉄道グッズなどを買う時間がなかった。でも宮古も人が多く、山田線も盛岡から宮古までは元気に動いている。宮古から北はあと10km以外は復旧し、震災当時とくらべれば格段に来やすくなっているので、宮古や北リアス線沿線や八戸線沿線へ多くの人がお越しになるといいと思う。観光客の増加が三陸地方の復興につながればいいと思う。と同時に、宮古以南の陸中山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、本吉、歌津、志津川、石巻、女川など、いまだ三陸縦貫線の列車が復旧していないエリアにも、いち早く列車が復旧し、地元の方々の支えになればいいなと思う。
…三陸鉄道の記念切符の記載によると、北リアス線の田野畑~小本間は2014年4月に、南リアス線の盛~吉浜間は2013年4月に、吉浜~釜石間は2014年4月に、それぞれ復旧するとのことである。三鉄さんは本当にがんばっていると思う。JR東日本も、八戸線を復旧させてくれた。山田線と大船渡線と気仙沼線の不通区間が復旧すれば、三陸縦貫線が完全復旧するが、見通しは厳しい。何とか、国費投入してでも、三陸縦貫線を全線復旧させてほしいと思う。
…八戸で一泊し、久慈へと向かう。
八戸駅や本八戸駅、陸奥湊駅に「元気をありがとう 光星学院」というような横断幕があった。大阪第2代表かもしれないが、地元出身の選手も少しいるし、被災地の学校だし優勝させてあげたかったなと思う。夏春連続準優勝は壮挙だが、惜しいし可哀相でもある。
八戸線はたぶん初めてである。本八戸や陸奥湊、鮫でだいぶ降りた。しかし、車掌さんがずっと乗車してるのがJR北海道と違う所だ。
途中、階上駅で30分停車する。ここから久慈までは2012年3月17日に再開したばかりとのこと。
静かな階上駅を見学したり写真を撮ったりした。
30分後、列車は久慈に向けて再び動き出した。
ほどなく岩手県に入る。秘境駅として知られる有家駅で降りた。降りたのはわしだけである。
八戸や階上でも大震災の被害は大きかったと思うが、列車からみただけではよく分からなかった。
有家駅で降りると、線路は全部新調されていて、路盤も新しく敷かれていた。海から20mは高い場所なので、ここまで津波が来たんだな…と思った。
駅待合室も新しいものになっていた。
ひとけがあまりない海岸には高い波が迫り、迫力があった。ずっと波を見ていた。沖には波間に浮かぶ漁船も見えた。
右大臣実朝公の
大海の 磯もとどろに寄する波 割れて砕けて 裂けて散るかも
という歌そのものの光景である。
駅から集落の方にも行ってみた。集落は高台にあったので、津波の被害は受けてないように見受けられた。
約1時間後に来た列車に乗り、さらに久慈へと向かった。
久慈に9時に着いた。…お約束である。三陸鉄道北リアス線の列車が来るまで、三陸鉄道のグッズなど見ながら待つ。
…久慈駅に入線した列車は、団体客などで混雑していた。団体専用車両もついていた。わしが乗車した車輛も、駅からハイキングで関東から来た人たちが多かったようだ。
…若干、今までのすいている旅と異なるので落ち着かなかったが、三陸鉄道が繁盛しているのはよかった。
田野畑駅に着いた。ここから小本までは岩手県北バスがバス代行運転をしてくれている。
…しかし、あいにく小本へ行くバスは2時間後だった。なので、もう一度久慈に戻って、また田野畑に来ることにした。北リアス線 田野畑~陸中野田復旧記念 ということで、1日フリー切符が千円で発売されていた。 逆に、あまりお金を落とせなくて申し訳ない気がした。久慈から田野畑まで往復してさらに久慈→田野畑を乗車し、加えて小本から宮古まで乗れば、普通に切符を買えばおよそ3500円である。
折り返しの列車は団体連れの人たちがいなくてすいていた。
三陸鉄道では、大震災の被害の状況や、絶景ポイントで車掌さんが解説してくれた。
北リアス線沿線では、陸中野田と野田玉川間がもっとも被害が大きかったようで、防潮堤が壊れた箇所や、家並が流されてしまった場所を通った。また海側には防潮堤に加えて防潮林もあったが、津波で流されてしまった、と解説していただいた。とても想像できないほどの津波だったんだなと思った。
…また線路沿いにはがれきが分別されていた。地元の皆さんの多大なご尽力で鉄道も(全線ではないが)復旧し、がれきも分別したのだなと思う。冷蔵庫などもあって、失われた平穏な暮らしを想像した。
…久慈に戻り、急いで田野畑行きの列車に乗り込んだ。
「リゾートうみねこ」というリゾートしらかみのような観光列車である。
八戸線が2012年3月に全線復旧し、北リアス線も2012年4月1日に陸中野田~田野畑間が復旧したので、そのまま北リアス線に乗り入れている。(土休日)
…リゾート列車から眺める三陸海岸の景色は美しい。 しかし、がれきの山をリゾート列車からながめるのは何とも複雑だった。…観光が復興に寄与するといっても、結局わしは物見遊山で被災地を見に来ていたわけで、申し訳ない気持ちになった。
普代駅はこの復旧区間の中で陸中野田と並ぶ拠点駅である。さっきの一回目のときも駅からハイキングの皆さんが普代でたくさん降りた。
…普代駅付近は海に面していないようで、津波の被害はなかったのかなと思うが、素人のことなので分からない。また、地震の揺れもひどかったから、津波の被害がない地域も、被害は大きかったと思う。やがて再び田野畑駅に着いた。
田野畑から小本まで、直線距離で10kmほどだろうか。代行バスは、連休2日目ということでちょうど満員の乗客を乗せて、峠を登り、迂回して、小本に着いた。
小本駅から、海が見えるが、小本もやはり津波の被害が大きかったようだった。駅構内で写真展があり、被災の状況と、そこから復興していく地域の皆さんの足跡が展示されていた。
1時間ほど待つと、小本発宮古行きの列車が出発進行した。
小本は岩泉町に属する。小本の南隣は田老である。
田老は高校生の頃、兄と一緒に1988年頃に来たことがあった。たぶん大船渡線で気仙沼経由で南リアス線に乗り、釜石から山田線に乗り、宮古から田老を経て田野畑から北山崎付近の国民宿舎に泊まり、久慈まで行ったかどうかは覚えてないが、たぶん開業して数年の三陸鉄道に乗りに行ったので、たぶん久慈まで乗ったのかな…と思う。…列車に乗り遅れそうになったとき、駅の階段を駆け上がって、その間運転手さんが待っててくれたのを覚えている。あれは田老駅だったろうか。
田老は地形的に過去何度も津波に襲われており、1988年に見に行ったときも、巨大な防潮堤が街を十字に守っており、その前に来た津波のときどうだったとか、それでこの防潮堤を造ったとか、掲示されていた。そのときわしは、この防潮堤ならば津波が越えてくる心配はないな…と思った。
…トンネルを抜けて田老に入ると、見覚えのある防潮堤が見えた。しかし、流された家が多く土台だけになっていた。防潮堤の上で流された街を前に話し合っている方々も見えた。
駅は少し高い場所にあるので線路は大丈夫だったようだが、駅舎はその下なので、被害を受けたようだった。
宮古へと向かう列車に向かって、地元の方々が手を振ってくれていた。…物見遊山で来た自分に、手を振っていただいて、なんとも申し訳ない気持ちになる。
田老から宮古は山の中を経由した。宮古も多くの人で賑わっていた。…久慈で買えばよかったのだが、宮古では時間がなくて三陸鉄道グッズなどを買う時間がなかった。でも宮古も人が多く、山田線も盛岡から宮古までは元気に動いている。宮古から北はあと10km以外は復旧し、震災当時とくらべれば格段に来やすくなっているので、宮古や北リアス線沿線や八戸線沿線へ多くの人がお越しになるといいと思う。観光客の増加が三陸地方の復興につながればいいと思う。と同時に、宮古以南の陸中山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、本吉、歌津、志津川、石巻、女川など、いまだ三陸縦貫線の列車が復旧していないエリアにも、いち早く列車が復旧し、地元の方々の支えになればいいなと思う。
…三陸鉄道の記念切符の記載によると、北リアス線の田野畑~小本間は2014年4月に、南リアス線の盛~吉浜間は2013年4月に、吉浜~釜石間は2014年4月に、それぞれ復旧するとのことである。三鉄さんは本当にがんばっていると思う。JR東日本も、八戸線を復旧させてくれた。山田線と大船渡線と気仙沼線の不通区間が復旧すれば、三陸縦貫線が完全復旧するが、見通しは厳しい。何とか、国費投入してでも、三陸縦貫線を全線復旧させてほしいと思う。
この記事へのコメント
「リゾートうみねこ」はリゾートしらかみに新車を入れたので、従来車両を他の線区向けに改造したものです。
八戸線もどうなることかと思いましたが、復活しましたね。
三陸鉄道は費用のほとんどを国費でまかないますし、特に北リアス線の場合、ちょっとトンネルから顔を出したところがやられたので、被害の距離はそれほど長いものではないでしょう。
ただ、山田線や大船渡線、気仙沼線は被害甚大ですし、復活するにはルート変更等が必要になり難しいでしょうねえ。
>「リゾートうみねこ」はリゾートしらかみに新車を入れたので、従来車両を他の線区向けに改造したものです。
なるほど、もともとリゾートしらかみが久慈に転籍してきたんですね。
>三陸鉄道は費用のほとんどを国費でまかないますし、特に北リアス線の場合、ちょっとトンネルから顔を出したところがやられたので
そうですね。北リアス線は旧国鉄久慈線を延伸した区間だし南リアス線は国鉄盛線の延伸した区間なんで、比較的最近できた区間でトンネルも多くいわば高規格区間なので、しかも国費投入で逆に復旧が進めやすかったということかもしんないですね。
JR山田線は原敬首相肝煎りの路線だし、三陸鉄道区間に比べて全通したのが古いから、トンネルが少なくて復旧が大変というのはあるんでしょうね…。
地震の前か後か分かりませんけど、宮古~釜石間の山田線を三陸鉄道に移管するという構想もある(あった?)ようで、そうすれば久慈から盛(大船渡市内)まで三鉄になるし、国費投入できるのでいいんじゃないかと思うんですが、あの話はどうなったのかな。
…盛~柳津(大船渡線、気仙沼線)の復旧についても、野良猫さんとわしの意見は異なりますが、見解の相違ということですね。
…お金がかなりかかるでしょうから、BRTでとりあえずしっかりしたバスを通すということでいいと思います。
…しかし、地元の方々だけではなく、他所から観光客を呼び寄せるとなると、やはり鉄道による三陸縦貫線の復旧が願わしい…と思っています。鉄道はやはり全国と繋がりますしね。
でわまた。
すみません、大嘘つきました。
大湊専用の「きらきらみちのく」を改造したものでした。
>野良猫さん
ご丁寧に訂正ありがとうございます。
…大湊線だと八戸線にも近いですね。
大湊線も陸奥湾沿いでいい景色ですね。
…わしは一度恐山に行ったけど、大湊駅も寄ったけど、こんどは大湊の海軍の記念館に行ってみたいな。
でわ。