東北縦断帰省阿房列車(後編)郡山~三春~田村~小野新町~いわき~四ツ倉~久ノ浜~末続~広野
宮古~盛岡間の山田線も景色のいい路線だが、眠くて半分眠っていた。連休中だけに列車はけっこう混んでいた。
盛岡から新幹線で郡山に向かった。郡山で乗換は何度かしたが駅から出たのは初めてだった。福島と並ぶ福島県の中核都市だけに、夜遅い時間だったが人は多かった。郡山で一泊し、翌朝、始発で平に向かった。
磐越東線は一度乗ったことがあったけど、夜中だったので、日中に乗るのは初めてである。朝5時半発だが、三春の滝桜がちょうど見頃ということで、車内は席が埋まるほど混んでいた。
三春で7割方の人が降りて、さらに東に向かう。
三春の田村家といえば独眼竜伊達政宗公の正室・愛姫が有名である。田村・三春地方はちょうど桜が満開でキレイだった。
船引あたりから列車は南東へ進み、夏井川沿いに平に向かう。平の手前でまた混んできて、終着の平に着いた。
平駅は1994年頃にいわき駅になった。平の方が通りがいいかもしれない。いわきは交通の要衝で、来る機会が多かった。3度目くらいだろうか。
とりあえずいわき駅の売店で福島民報と福島民友を買った。両紙とも、原発事故の情報や放射線量などが詳しく載っていて、福島の方々が被った被害の大きさを実感した。
常磐線はいわき市の北の広野町まで復旧している。広野行きの列車に乗った。
水戸の方から来る列車で、長大編成である。いわきから乗った人は、高校生のみなさんとかが少しいたが、すいていた。
いわきから草野、四ツ倉と来て、久ノ浜を過ぎると、海が見えてきた。
末続駅は木造駅舎で趣があった。
広野駅に着いた。ここから先は東電の第一原発事故の影響で運休している。
広野町は2011年9月に緊急時避難準備区域が解除となって、列車も2011年10月に久ノ浜~広野間が復旧した。広野町役場も2012年3月に帰還したとのこと。
広野駅には数人の旅行客さんが来ていた。わしは北に見える大きな煙突を目指して街を北に向かった。
警戒区域内で働いておられると思われる作業服の人たちが、駅近くのスーパーに来ていた。街を歩く住民の方々もお見かけした。…いち早く福島県浜通りの地域の方々が、元の暮らしを取り戻せればいいなと思う。
…ケータイで調べると、煙突は広野火力発電所のもののようだった。…広野では23分しかないので、海の方へ行く時間はなく、駅に戻った。
広野駅も味わい深い駅舎である。「サッカーに出会えるまち ようこそひろのへ」 という看板があった。Jヴィレッジは広野町と北隣の楢葉町にまたがっている。日本代表もたびたびJヴィレッジで合宿を行った。アルゼンチンが2002年ワールドカップのときに練習拠点にしたりした。今は原発事故収束のための前線基地となっている。…いわき市などに新しいJヴィレッジを作る、という話もあるようだ。
…静かないい駅だが、ここが常磐線の終着駅となってしまっているのは残念である。2番線ホームの向いに仮設ホームが作られ、跨線橋は閉鎖されている。
そして北の富岡、双葉、浪江方面は、線路は残っているものの、所々ぐにゃりと歪んでいるのが痛々しい。原ノ町まで復旧するときに直すのかもしれない。
広野で駅員さんからいわきまでの切符を買った。ひたちに乗るか迷ったが、急ぐ旅でもないので、上野まで普通列車で帰ることにした。…広野-末続間と、末続~久ノ浜間は、海岸線の近くを通る。強固なコンクリートの防波堤が一部決壊していたり、土台だけが残された家の跡とか、津波の被害を目の当たりにした。…今回の旅では青森の八戸付近から、岩手、宮城、福島と、長大なエリアが津波に遭ったことに改めて驚かされた。茨城、千葉も津波が来たので、津波の脅威を改めて感じた。
久ノ浜駅付近から南はしばらく海岸線から離れる。だんだん乗る人も増えてきた。茨城も被害が大きかったと聞くが、勝田から出ているひたちなか海浜鉄道が復旧してよかったなと思う。勝田の次の水戸で降りて、駅弁を買って上野行きに乗り換えた。
…書いていて筆が進まず、気が重かったが、東京電力管内にずっと住んでいた者としては、ご迷惑をおかけした浜通りの状況を見ておきたかった。いわきは放射線量も低いので、アクアマリンふくしまとか、スパリゾートハワイアンズといった目玉施設をはじめ、いわきエリアにいらっしゃる観光客さんが増えればいいなと思う。 また原発立地の4町(北から双葉、大熊、富岡、楢葉)のみならず、原発立地でないのに最も被害をこうむってしまった浪江や、飯館、葛尾といった町村、浜通り北部の原ノ町、相馬といった歴史ある街の復興のため、国や東電のご尽力を強く願う。また、いわきや中通り、会津に観光客がたくさんいらっしゃればいいなと思う。
(完)
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